BCのセミリタイアまでの道のり

最近は米国株、ETFなどを不定期にレポートしてます。皆さんのお役に立てば嬉しいです。

【人間関係】幸せになるための人間のレベル論について考えてみました

こんにちは。BCです。

今日は最近読んだ本についてです。

趣旨は、人間のレベルってのを作って人間関係のストレスを減らせるというお話でした。

とても素敵な本でしたが、人間のレベルっていう考え方がまだ馴染めないので
一度自分でそのことについて考えてみようと思いました。

 

 

人間のレベルを考えるにあたっての前置き

人間のレベルっていうのはなんとも差別的な響きがあります。

少なくともBCはそう感じてしまいました。

実際にそのレベルっていうのがあるとしても、そうした目で人をみたくないという思いがあります。

BCは自由がとても好きですので、人を不自由にするような考え方には反対なのです。

 

特に宗教、人種、性別、階級など変えられないもので人を差別する、固定させるのが受け入れ難いです。

 

逆に、情熱によって乗り越えられるものは大好きです。

株式が好きなのも、一つにはコストは色々ありますが誰でも同じ値段で同じ権利を獲得できるからです。

まあただこれも資金の量は確かにあります、
生まれつきの資産家というのも現実にありますから、
資本主義というのはある意味格差を固定させている面もありますね。

 

先天的な疾患なんてのもあります、でも医学はそれに立ち向かってきたし今日でも多くの疾患が克服されてきました。

 

そうした医学、薬学なんてのも BCは大好きです。

 

広い宇宙の中に地球が唯一青く光るように、
本当のことを言えばほとんどが差別、偏見といったいわば真っ暗闇の中にある中で、

そうした差別なんかを情熱で乗り越えていくというイメージです。

いい言葉もありまして、一隅を照らすという言葉が大好きです。

 

前置きが長くなりましたが、やや刺激的な人間のレベルという考え方ですが、
それでも何かが得られるのであればそうしたものがあると仮定してお話を進めてみたいのです。

不快に感じられる方がいらっしゃいましたら申し訳ございません。

 

人間のレベルの外にあるもの

それでは思い切ってあるとしてお話を進めてみます。

 

悲しいニュースを目にすることがありますね。

最近だと京都アニメのお話は簡単に言葉に出せないほどの悲しみがありました。

あれだけの大きなものを何かわからないけれど全部台無しにしようとする人がいます。

 

私BCがレベルというものをあえて考えるとすれば、
人のことを取り返しもつかないところにまで追いやってしまう人はこのレベルという議論の枠の外にあります。

 

そうした大きな犯罪を犯してしまう人のことを、「人として不良品」だと表現したことがネットニュースにもなっていたように思います。

 

精神的な疾患があることは承知しています。

それがために現実が歪んで見えてしまって、取り返しのつかないことをしてしまうということですね。

 

この例は明らかな犯罪者のケースになるので、
こうした犯罪については今回の議論の外に置いて置こうと思います。

 

他人を傷つける人、信頼関係を誰とも築けない人

幸せになるためと考えますと、信頼関係を築けることは大切なことです。

信頼関係を築けないことという軸で考えてみるのは良い切り口かなと思います。

能力とか、学歴とか、年収や資産の多寡ではないのです。

 

ココロの部分ですね。

これは親や兄弟、恋人や配偶者や友人などど信頼関係を築けない、というだけではありません。

そうした自分と近い関係とだけうまく行かないというケースもありますよね。

 

誰とも信頼関係を築けず人を傷つけてばかりいてしまうことです。

どうしてなんですかね。

 

私BCはなんとなくわかる気がします。

なぜか好きな人に嫌われるようなことをしてしまうことがありますね。

小学生時代には、好きな子にほどイタヅラをしていたように思います。

そして今でも、近い人にこそ甘えてつい強く当たってしまったりします。

仲の良い友達に対して、その人が嫌なところをついてしまうことがあります。

父や母に愚痴ばかり話す自分も、いまだにいるのです。

 

まだ、誰に対してもじゃないだけマシとしましょうか。本当は好きですし。

でもやっぱり伝えなきゃダメですよね。

 

話が脱線しましたが、もうちょっと話を進めてみますと、
そうした人の内面で起こっているのは自分も他人も本心から好きになれないということでしょうかね。

 

信頼関係を築くとは、その人と自分が同じように価値がないといけないのではないでしょうか。

 

さらに考えますと、自分も他人も憎んでいるという世界かもしれませんね。

今回のことには答えはありませんので断定はできないのですが。

 

他には誰をも裏切り、利用することしか考えずにいることでしょうか。

そして世の中そういうものだと思うのです。

 

たとえば、オレオレ詐欺の加害者とかはそういうものでしょうかね。

高齢になられて収入を増やすことも難しい相手に、

姑息な手段でお金を巻き上げるなんて外道のすることです。

明らかなに人の道に外れています。

 

それを自分のためだけにしているんですから。

その仲間というのもどういう人たちなんでしょうか。

互いに信頼関係をあるとは思えません。

目的のために行動を共にしているのでしょうが、そこに信頼関係があるとは思えません。

 

もしくは、そうした人の道に外れているからこそ団結している集団というのもあるかもしれませんが、しかし例えば共にいることが利益に反するとなればすぐに解散することとなるでしょう。

 

そういうのは、信頼関係があるとは言えないですね。

ちょっと次は最上のものを考えてみたいと思います。

いるだけで周囲を幸せにする人

これは最上といっても良いのではないでしょうか。

その人の放つ言葉が、表現が伝わるとそれが一人歩きしてもどんどん幸せを作っていくのです。

今ある宗教なんかも、いろんな経典がありますがどんどん人を幸せにしているのだとすればその始まりの人のレベルというのは最上と言っても良いのではないでしょうか。

 

人を幸せにできるというのは、その人の不安を取り除き、
世の中の良いところに自然と目がいくということでしょうか。

 

松明ってありますよね、そういうのをどんどん他人に繋げていけるようなイメージです。

その最初のヒカリたる人がもっともレベルが高いと考えても良いのではないでしょうか。

 

最上と最低を比べてみると共に幸せに向かって歩く人と一緒に進むことが大事だと思いました

全く違う人間と言っても良いですよね。

理解し合えることはほぼできないでしょうね。

 

なんていうか、自分が最上でも最低でもないとして、
自分が最上を目指す途中にある時に、
もし幸せになることが目標なのだとしたら、
人と理解しあえないことも受け入れた方が良いのかもしれません。

 

 

孤独とは言いませんが、とにかく誰とでも信頼関係を築くことだけがゴールなのではないのかもしれません。

そうではなくて、一緒に前に向かって進む人、
人として成長していこうと思う人と共に進んでいけば良いのかもしれません。

 

今日は人間のレベルというのを考えて、幸せになるのにはどうすれば良いかという視点で考えてみました。

まだまだこんなものでは終わらないお話ですが、ひとまず一区切りにしたいと思います。

 

みなさんの日々が素晴らしいものでありますように。