BCのセミリタイアまでの道のり

最近は米国株、ETFなどを不定期にレポートしてます。皆さんのお役に立てば嬉しいです。

ピンチをチャンスに変えるを自分なりに考えてみました

こんにちは。BCです。

さて、お盆のお陰でゆっくり本が読めていて嬉しいです。

その中の一節にありました「脅威ではなくて好機と捉える」ということが響いたのです。

そんなよく言うことやんって思うのですが、いざ自分ごととなった時には、

そんな余裕を持った思考ができているとは言えないですね。

こうした言葉を日常の小さな出来事に落とし込みたいと言うのが結論ですが、

始めてみます。

株価の下落を好機として捉えるとどうなるか?

これはよく言われることですよね。

バーゲンセールになってる!と思えば全てがお買い得に見えてきます。

これは注意しておきたいのがその後の株価の戻しと高値更新が見据えられているかどうか、

また適切なリスク管理ができているかと言うのができている上での発言ということですね。

 

そして相場とは綾があるものですから、この短期的な下落こそが好機ということです。

 

ただ、リーマンショックのような、絶望が年単位で繰り広げられている中でそう思えるかどうかは、

見通しやリスクコントロールとかを通り越した、もはや信念のレベルになりそうです。

そんな超人的な所業を、個人投資家はやっていくことを前提として投資をしていくのだから本当にすごいものですね。

 

実は前髪の後退こそが最大の脅威と感じています

投資でできたことを健康でもしてみようと思った時に、一番の脅威は前髪の後退でした。

「おでこが後退しているのではない、私が前進しているのだ」

とはソフトバンクの孫さんの有名なセリフ?ですが、一般人のBCにはとてもそんな自信もなく、ただただ前髪が後退しているだけなのです。

 

その恐怖の根源は、老化に対してのものだなという感じがしています。

老いとは避けられないもので、今より若くなることはありえません。

ただ、こうした老いに対して何かのチャンスと捉えてみたいのです。

 

それはやはり、精神的な成熟ということでしょうか。

これは、人間をココロとカラダに分けて考えた時の発想です。

 

カラダの老いは避けられませんが、ココロは捉え方次第でいくらでも若く、

いや、成熟していけます。

 

この精神の成熟とはなかなか一晩には成らないものですが、カラダの老いに対しての恐怖は精神を成熟させるには十分な養分になりそうに思います。

 

カラダの老いとはつまり、快楽から離れるということを意味するように思います。

その快楽から離れること受け入れることこそがココロの成熟に繋がるとも言えそうです。

 

人に嫌われることで自分を確立する

人に嫌われるというのもある意味では脅威に感じます。

ただ、全ての人に良い顔はできないものですね。

 

例えば会社に良い顔をし続けていては、投資をすることや健康の維持、

家族の幸せを作り上げることはできません。

 

つまり、時間は限られていて仕事に費やす時間が長いほどに自分のための時間は削られてしまうのです。

従いまして、時には上司や同僚に嫌われてでも自分の生活をとるということ、

そういう一つの行動が自分を確立していくことに繋がると言えます。

 

別に会社じゃなくても構わないです。

友達であっても、およそ人間関係であればうまく行かないこともあろうかと思います。

そうした時に、自分の道を進むのであれば嫌われることも恐れないということですね。

 

間違っても、自分にとってとるに足らないことでも頑なに闘えという訳ではなくて、

自分の考えてしたことで相手が嫌な顔をしてしまう時には、

距離を少し離して自分の信じることをしていけばいいという程度のことですが。

 

死の恐怖から生きる喜びを見出す

最後の例えはこれしかないですね。

いづれ限りある命であることは明白です。

ただ、それだからと言ってこの与えられた命を空虚にしてしまうことはないのです。

むしろ、限りあるからこそ今日がより大切に思えるとなるでしょう。

 

今日過ごした時間が大切な時間たり得たか、

それは自分が社会に老いて今どんな役割でいるかは関係なく、

全ての人がもつ課題と言っていいでしょう。

 

やっぱり愛する人に愛をしっかりつと伝えていくことですね。

そして「袖擦り合うのも多生の縁」と言うのは、

決して身近な人に対してだけではなく出会う人に対してどれだけ真摯で入れるかが、

問われているのだと思います。

 

そう言いながらも今日も子供にガチギレしている私ですが。。アホですな。

 

ピンチをチャンスに変える

実際にピンチの時とは精神的にも追い込まれてるのでそう簡単にはチャンスだなんて思えません。

だから無理にとは言えないですし、むしろまずはそのピンチを受け入れてしまうことの方が先でしょう。

 

受け入れるとは、いわゆる最悪を想定するだとか、命まで取られる訳じゃないということですね。

たとえ髪がなくなっても命まで取られる訳じゃあありません。。

 

たとえここで命を落としても死なない人はいないのですから。

そしてこれまで生み出した喜びがなくなることもありません。

 

そして、そこからもう一踏ん張りして、これをチャンスに変えてみたいです。

だからこそ、今の髪の毛を大事にするのか、

どこかにブル相場があると探すのか、

とにかく今目の前の時間を味わうのか、

なんでも良いのでしょうが、学びにして自分を変えてしまおうということですね。

 

なかなか変われないのが人間ですから、今あるピンチこそが自分を変えてくれるきっかけとなるのやもしれません。

 

さて、それではみなさま素敵な日々を。