BCのセミリタイアまでの道のり

最近は米国株、ETFなどを不定期にレポートしてます。皆さんのお役に立てば嬉しいです。

【やりたいことを見つけるための質問】今日が人生最後の日だとしたら何をしますか?

こんにちは。BCです。

 

昨日は久しぶりに株を買えました。

JNJですが、特に説明するまでもない企業ですね。

 

さて、株式投資の方が特にお話することはなくですね、

今日が人生最後の日だとしたら何をするか、というテーマで書いてみたいです。

 

結論を言えば、

「日々の暮らしの心を込める」

ということになりますが、なぜそうなるのかについてお話させてください。

そもそも今日が人生最後の日だとしたら、とはどういう意味か?

これは言葉の通りですね。

簡潔に言えば、余命1日ということです。

もっとイメージを明確にしたければ、こんな設定をしてみてもいいでしょう。

 

  1. 検査結果を聞くために病院にいく
  2. 診察室で医師から検査結果を聞く
  3. 「私はあと何日生きることができますか?」と質問する
  4. 「残り1日です」と神妙に言われる
  5. 「現代の医学ではもうどうしようもできません」と言われた

 

こんな感じでしょうか。

もはやなんの手立てもなく、ただその事実を受け入れるしかないわけです。

 

そんな時に自分ってどう思うんでしょうか。

 

その事実は受け入れがたいものではあるけれども、目の前で時間はただ過ぎ去っていく。

ただただ、怯えてしまって何も考えられず、無為に時間を過ごすのであればこの1日を使って何かしてみよう。

 

ここまでの状態に持ってこれた時に、最初の質問に戻るわけですね。

「今日が人生最後の日だとしたら何をするだろうか?」

 

なぜ明日死ぬといった質問をするのか

そんなことわざわざ考えなくても良いじゃないかとも思います。

私BCは高校生になった時によくそんなことを考えていました。

そして誰にも相談できず、一人布団に包まって怯えていたものです。

 

自分がいなくなってしまう、消滅してしまうことを想像すると怖くて仕方がなかったのですね。

 

でも、事実として誰しもが永遠に生きることはできないのです。

そして、その瞬間はいつ訪れるかわからないわけです。

であれば、この厳粛な事実に対して自分はどう対峙していくのか、があっても良いのではないでしょうか。

 

いや、それでも目を背けたい、となったのが高校生の時のことでした。

でも、今は一人の親となって、

いつか子供がそういう質問をしてきてくれた時に愛のある答えを返したいなと思っています。

 

そして、その質問から「生きる意味」を引き出してあげたいのです。

なぜ人はみんな死ぬのにこんなに生を燃やしているのか。

笑って楽しんで、傷ついて悲しんで、目標に向かって進んでいくのか。

 

そうした活力を引き出せる可能性のある質問だと思います。

たとえ人生最後の日が明日になったとしても、何も変わらずに毎日を大切に生きていきたいのです。

 

元上司が急遽ガンになって入院した時にみたもの

当時50代ですかね、私の元上司が急遽会社に出社されなくなりました。

そしてお話が伝わってきた時には、ガンで治療のために入院しているというものでした。

とてもよくしていただいたので、お見舞いにも行かしていただきました。

その時に印象的だったのは、ガンだと判明しても何も変わらずいつも通りの表情で迎えてくれたことです。

 

そしてその時にいってくれた言葉で印象的だったのは、

「俺は何も変わらんよ」

という言葉でした。

 

実際に何も変わっていらっしゃらないんです。ここが会社ではなく病院であること以外は。

何も深刻になっていないのです。

 

その後、退院され仕事にも復帰されました。

ガン治療の副作用のために髪の毛が抜け落ちてしまったためにニット帽を被られていました。

体力的にはしんどいだろうなとみて取れたのですが、それでも特段変わった雰囲気はありませんでした。

さらには、今度転勤してくる奴はハゲてるらしいぞ、とかいつもの表情でいってました。

 

そして、それから数年程度の時間がすぎた時に、再入院となったのちに亡くなられました。

 

そのころの私が驚いていたのは、本当にガンとなっても何も変わらずにいらっしゃったこと、目の前の仕事を淡々とこなされていたこと。

もちろん、治療中の間はいつもの違いかなりお疲れであったこととは思うのです。

それでも周囲の人にそういうことは一切出されずに、楽しげに仕事をされているように見えました。

 

本当に何も変わらずに過ごされていたのです。

 

私にそんなことができるだろうかと自問していました。

まず会社にいくことができなかったかもしれません。

それは、哀れんでみられるように気がしてそれが辛いと感じるだろうからです。

 

そんな状態であっても周りの目を気にしてしまうだろうなと思うのです。

 

でも、きっと自分がなんなのかということがしっかりとわかっていれば、

自分がしっかりと確立していればいつもと変わらずにいられるんだろうなと思います。

そして、そういう自分を作り上げていきたいです。

だからこそこの質問を自分で問い続けたいと思います。

そして、まるでそうであるかのように日々を送りたいです。

 

小さなことを大きな愛を持って行う

私たちは決して大きなことはできないのです。

ただ、小さなことを大きな愛で持って行うことはできます。

マザーテレサさんが言われたそうですね。

 

この言葉はこうした時に力を貸してくれるかもしれません。

 

まず空を見上げてみる、

この空の青さが愛しく思える。

決して忘れないでいようと心に誓う。

 

そんなことから始めてみても良いのではないでしょうか。

普段気にも留めないことが少しずつ色味を帯びてくるでしょう。

 

身の回りのものを見渡してもいいのかもしれません。

机、💻、椅子、扉、本棚、テレビ、

何もかもがこれまでの人たちが作り上げてきたものですよね、

そして、どこかで誰かがこれを作り上げて今自分のところに届けられています。

 

こういうのってきっといろんな奇跡、いわば先人の努力の結晶なわけです。

ご飯を食べるときに、

味わいがより出てくるのです。

 

つまり、日々の暮らしからより幸せを感じられるようになるのではないかと思います。

何もすごいことをする必要なんてないのです。

そして、何よりこの毎日を楽しくいきていけば良いのではないでしょうか。

そうしているうちに、自分のやりたいことっていうのがなんなのか、

見つけられるかなと感じています。

 

今日のお話は「明日死ぬかもよ」という本を拝見して思いついたものです。

まだリンクの付け方なんかがわからないのでご紹介のみになります。

 

皆さんの日々がより良いのものとなりますように。