BCのセミリタイアまでの道のり

最近は米国株、ETFなどを不定期にレポートしてます。皆さんのお役に立てば嬉しいです。

アイデンティティと存在意義をもつメリットとデメリットについて

こんにちは。

 

普段はあまり意識しないですよね、

アイデンティティ

存在意義と言う二つの言葉。

 

さて二つの言葉にともに感じることは、

ややかたっ苦しくて関係しない方が良いようなところですかね。

 

一方でこの二つは

なんとなく親戚のように近い感じもしてしまいます。

 

きっとこのブログに書いたとしても全く需要がなさそうなのに、

なぜこんなテーマになってしまったのかといえば、

これは本当にただの思いつきです、

ので読まれない方がいいかもしれません。

 

でも私としてはなんとなく大事だなと思ったのです。

 

そして、これらをクリアにしておくことで、

自分を守れたり、

うまくいかせたりしやすくなるかなと考えています。

 

つまりあなたの役に立つ、

日常生活に置いても実践的に使える言葉だなと言うことです。

 

注意点としてはこれらを混同しすぎない方が良いなぁと言うところ。

 

それでは今日は、

アイデンティティ

存在意義について記事にいたします。

そもそもアイデンティティと存在意義ってなんなの?

アイデンティティについて

正確には辞書に書いてありますのでご参照ください。

私は、社会における自分の立ち位置のように理解しています。

 

つまり自分を社会に対して相対的に置いて見た時に、

こう言うものです、と言えるようなものがアイデンティティになります。

 

例えば、

私はどこどこ会社の会社員です、とか

投資家です、とか創業社長ですとか、医師ですとか、教師ですとか、

仕事にまつわるもの。

 

もうちょっと深めれば、

日本人ですとか、アジア人です、地球人です、

といった住む場所に立脚するものもそうですかね。

なんでもいいです、日本語を話すドイツ人ですとかでも。

 

他には、

革新派か保守派か、キリスト教イスラム教など

主義主張や宗教などもそうじゃないでしょうか。

 

こうしたものの中で社会に対してあなたの立場を相対的に示すものが、

アイデンティティということなのかなと思います。

 

そのアイデンティティと言うのが自分の中であるとないとでは、

何かあった時の反応のしやすさが違うかなと思います。

 

私は日本人だから日本を大事にしますとか、

医師なので患者さんを救いますとか、

キリスト教だから聖書を信じていますとか。

価値観が明確だし、どう考えるのか判断がしやすくなりますね。

 

一方での例えば宗教を持っていない場合、

日本人には多いとされますが無宗教であれば、

何を信じるかと言うことでイチから自分で考える必要が出てきます。

 

これって結構大変じゃないでしょうか。

 

例えば信じるものは救われると言う言葉がありますが、

信じないものは救われないと言う意味ではなくて、

信じるものがあることが精神的には楽なんじゃないかなと思うのです。

 

もちろん宗教的なことでなくとも、

習慣的にやっていることは何も考えずに身体が動かせます、

 

でも今までしたことがないのに、

寝不足でぼーっとしている中だと忘れちゃってできなかったりとか、

なんか余裕がない時にはちょっと大変かもしれません。

 

疲れるといつも自分で大事にしている価値観に従えない時があるように、

自分で作り上げるものとは結構エネルギーのいるものです。

 

日頃から自分のアイデンティティを明確に持っていると省エネで暮らせるんじゃない

かなと思うのでオススメです。

 

私はブロガーです、と決めてしまえばブログも書けちゃうみたいな感じでいますから。

 

存在意義について

これはアイデンティティが社会に対して相対的なものだといったことに対して、

絶対的なものだと考えています。

 

つまり、存在意義とは他の誰がどうであろうと、変わらずに価値のあるものです。

 

例えばあなたの存在が、

他人の存在によって価値が変わるなんてちょっとしんどくないでしょうか。

 

他にも資産の総額によって、

職業や住んでる国によって、

信じる宗教によって、自分の存在意義が変わるなんてことはないのです。

 

だから、存在意義って絶対的なもの。

私の主張としては、あなたの存在意義は絶対的に価値があると考えています。

平たく言えば生きているだけで素晴らしい、

 

「生きてるだけで丸儲け」とか、

そんな文脈にある言葉だと解釈しています。

 

だから存在意義って言う言葉があって、

それは絶対に誰がなんと言おうが揺るぎなくあなたのそばにあるものだと、

いつどんなときも信じていられれば、

身軽にならないでしょうか。

 

社会の中で生きる私たちはいつも何かの批判の対象になってしまいます。

アラフォーだからこれくらいできてないとと思ったりですね、

そう言うのをバネにしてさらなる進化を遂げるのは大いに結構ですが、

それはあなたの存在意義とは全く関係ねぇのだと言うことですね。

 

アイデンティティが存在意義になってしまわないようにしよう

はじめにアイデンティティって便利だねって書きました。

次に存在意義はあなたの存在は誰がなんと言おうと意義のあるものだと述べました。

 

さて、この二つの言葉はそれぞれ大事だと言うのが私の主張ですが、

一つだけ厄介なことがあります。

 

それはアイデンティティが存在意義になってしまいガチだと言うことです。

 

なぜかと言うと、社会の中での立場を示すこのアイデンティティは、

相対的なものであったはずなのに、常にそれを意識し続けることで自分自身と一体化してしまうことがあるのです。

 

なんでそれが問題になるのでしょうか。

 

それは、アイデンティティっていうのは変化していくものだからです。

つまり、私は現在父親ですが、それまでは子供でした。

学生の時もあれば会社員の時もあり、

そして会社員と学生を一緒にしていたこともあります。

 

一方で存在意義というのは絶対的なものなのです。

これは変化するものではないのです。

 

もしもですね、

自分が会社員であることに存在意義を持ってしまうと、

会社員でなくなってしまう時に自分自身を見失ってしまうことになりかねません。

 

若さはアイデンティティでを示しますが、存在意義とはならないのです。

 

当たり前のことかもしれませんが、

アイデンティティとは便利でありながら一方では、

期間限定のものだと考えた方が良いです。

 

日本人であるとか、宗教などはそう簡単には変わりませんが、

もしあとで日本人ではなくなったとしても、

あなたの存在意義はなんら変わりません。

 

宗教だって、

たとえは私は無宗教者ですが、

これから宗教を持つこともあって良いでしょう。

 

ただ、日本人であることが長すぎると、

日本人じゃなくなった時にでは自分って何人なの?と依って立つものがなくなってしまうような間隔となるかもしれません。

 

私は新卒で入った会社を辞めた後に一年くらいフラフラとしていましたが、

しばらくは自分って何をしていると言えば良いのかわかりませんでした。

 

聞いた話では、定年までバリバリ会社で働いていた方が、

定年後になっても会社にきてしまうとかいうこともありました。

 

もちろんそれ自体は構わないんのですが、

あくまでも会社員であった時の自分とは、存在意義のように絶対的なものではないのです。

 

でも長くそうであったがゆえに、そこから抜け出せなくなってしまうことがあります。

その時にまるで存在意義を見失ってしまうような感覚にならないでもらえたらいいなと思います。

 

私も、注意しています。

アイデンティティと存在意義をそれぞれはっきり分けて持っておくこと。

 

そしてもちろん大事なのは、存在意義の方です。

いくらアイデンティティがあっても、

それはそれ、

あの時はあの時、

ということで良いのではないでしょうか。

 

まずはじめに存在意義をしっかりと持ちましょう。

あなたはそこにいるだけで二つとないものです。

そして他人を喜ばせるものなのです。

 

そしてその上で、社会で楽に生きていくツールとしてアイデンティティを持つというのはどうでしょうか。

 

これはあくまでも個人の見解になります。

それでは素晴らしい日々を。